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 Diary 2002・10月13日(SUN.)

大人も
酔っぱらうが、
子供も酔っぱらう

 私の両親と妹が久しぶりに来店したのだが、妹の顔を見ると、一面に絆創膏が貼ってある。どうしたのかと問うと、酔っぱらって転けて、顔面を打ったのだという。額を割り、何針が縫ったそうだ。私の妹はよくお酒を飲む。いまや下戸に近い私とは正反対に、かなりの量を飲む。で、飲むだけでなく、酔っぱらう。酔って、よく転けたり、気絶したり、いろいろやらかしているらしい。何故そこまで飲むのか。お酒は好きでよく口にするが、すぐに眠くなって、そうなればもう飲みたくなくなる私のような人間には、その真意が測りがたい。それもみんなと飲んでいる時に限って、そのような失態をさらすらしい…と、ここまで書いてきて、卒然と分かった。みんなと飲むからこそ、失態をさらすまで飲み続けるのだ。

 私も実は、オパールを始めてから、一度だけ酷く酔っぱらった事がある。それは T-ROOM が完成した時のパーティーで、ヤマネくんやコータローくん達とワイワイ喋りながら、差し出されるお酒や目の前に並んでいるお酒をチャンポンで、ひたすら飲み続けたところ、オパールに仕事をしに帰ったものの、そのままダウン。仕事が終わるまでダウンし続けたのだ。よく無事にオパールまで帰る事ができたものだと自分でも思うが、あの時は、別にそこまで飲んでいる意識はなかった。とにかく話に熱中しているあいだに、ひたすら差し出されるお酒を、合いの手のように飲み続けただけだ。なるほど、人はあのようにして、知らないうちに限界量を超えて飲み続けるのか。それにしても、一度醜態をさらしたら、以後自重するものではないのか。何度も醜態をさらすというのは、いかがなものか。学習能力の高さが、人間を人間たらしめているのではないのか。

 …などと書いたものの、よくよく考えてみたら、人間の愚行というのは有史以来絶えたことがない。歴史を振り返ってみたら、学習能力の高さや、人類の進歩など、ほとんど冗談としか思えない。もちろん、成長という事はある。が、進歩などという事はないのではないか。「人類の進歩」という題目を掲げた 20 世紀が、人類史上最も愚かな世紀だったような気がする。

 成長しろ。大人になれ。成長を拒みたがる子供ほど、「進歩」と唱えたがる。「成長」とは伝統に自らを順応させ、それを富ましめること。で、「進歩」とは伝統を桎梏とみなし、それを否定することだから、とうぜんこの二つの概念は対立する。私は保守派だから、とうぜん「成長」派。人間なんていうものはみんな愚かなので、せめて伝統の支えでもないと、とんでもない事になる、と考えている。だから、成長しろ、と言う。大人になれ、と。とはいえ、いくら成長したって、人間は愚行を重ねる。愚かだから。いくらかマシになるだけだろう。でも、それでいいじゃないか。酔っぱらってもいいから、成長しろよ。

 うーん、お酒でも飲んで寝るか。

小川顕太郎 Original:2002-Oct-15;