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 Diary 2002・11月5日(TUE.)

RUN D.M.C

 フクイくん来店。先日スタジオ内で射殺されたジャム・マスター・ジェイを追悼するために RUN D.M.C の『RAISING HELL』をかけていたら、「ボクもコレ持ってますよー」と言う。そういえば、私とフクイくんは同い年であった。

「ボクもねえ、靴ひも抜いてはいてましたよ、アディダス。でも、(RUN D.M.C が履いていた)スーパースターが手に入らなかったから、スタンスミスでしたけどね」ああ、そうですか。でも、あれ、歩けないですよねえ。

「そうそう、カポカポして。でも、アディダスが『RUN D.M.C モデル』っていうのを売り出したじゃないですか。あれは、靴ひもなしで履けるようになっていたんですよ。ゴムでとまるようになっていたんです」

 うーん、じゃあ、RUN D.M.C も、ゴムでとめていたのかなあ。そうじゃないと、おかしいですよ。スーパースターは、靴ひもなしじゃあ、やっぱり歩けないですからねえ。あの頃は、ホーキンスの安全靴の靴先を切って、鉄の部分を露出させるのとか流行ってましたからねえ、あれはやはり自分で靴をいじるべきだったのかも。

「ボクはあの頃は高校生だったんだけど、高校が私服でねえ、アディダスのジャージできめていったら、バカにされて。何と言っても、ホラ、当時は DC ブランドが全盛だったし」

 そうそう、少し後になればイタカジとかね。我々のようにレコード買う人間は、そこまで服にお金を使えないですからねえ、服装における貧富の差は露骨でしたよ。私も古着がメインで、あとデプトとか。

「ああ、デプトね。考えてみれば、ショボかったですねえ、あの頃」

 確かに。そういえば、私は RUN D.M.C やオリジナルコンセプト、トラブルファンクなんかをテープにいれて、学校にラジカセを持ち込んでガンガンかけていたんだけれど、このラジカセがまた小さくてねえ。うーん、ショボかった。

 と、昔話に花が咲く。私とフクイくんはどちらも今年で 33 歳。どちらも共に脱サラして、かたや雑貨屋、かたやカフェをやっているのであった。これはどちらも、若き日に RUN D.M.C に熱狂したから…とは言わないが、必ずしも、関係ないとは言い切れない。かも。WALK THIS WAY!

小川顕太郎 Original:2002-Nov-7;