京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > diary > 02 > 1104
 Diary 2002・11月4日(MON.)

ホンモノの日本語を
話していますか?

 金田一春彦著『ホンモノの日本語を話していますか?(角川 ONE テーマ 21)を読む。この本はまず題名からして凄い。と思う。「ホンモノの日本語」とはそもそもなんぞ? そんなものを定義できるのか? と声をあげたくなるが、それに対して、こちらが恥ずかしくなるくらい素直に答えてある。それは、ものごとをはっきり言わず(はっきりした断定を避ける)、自分の利益になることを主張せず、どんなに不合理でも言い訳せず、丁寧すぎる挨拶をし、なるべく言葉数が少ない、できれば喋らないぐらいなのが、ホンモノの日本語だというのだ。うーん、凄い。これらは全て、ワールドバリュー(世界普遍価値)に真っ向から対立するものばかりだ。しかし、そもそもナショナリズムが、グローバリズム(世界普遍価値の押しつけ・洗脳)に対する反発・防御としてあるのなら、この金田一春彦の主張は正しいのだ。実際、ナショナリズムの立場からは、同様の主張がなされることはしばしばある。が、こういったナショナリズムからの主張は、どうしたって声高になりがちなのに、金田一春彦は、実に穏やかだ。というより、老人力に満ちている。そこがいい。ナショナリズムは老人力とともに主張するのがよい、という事を、私は頬をゆるめながら、この本から学んだ。

 言葉とは、意思伝達の道具であるとともに、文化を守るものであるし、世界戦争における武器ともなるものだ。という思想を三島由紀夫の『文化防衛論』から学ぶべきだ、という事を、私は先日読んだ副島隆彦の『決然たる政治学への道(弓立社)から学んだ。世界帝国アメリカは、日本人が何を考え、どう行動しようとしているかを知るために、多くの情報将校を日本に送り込んでいるが、どうもいまひとつ、日本人が何を考えているのか分からない。日本語はどうにも曖昧で、封建的で、遅れているので、よーわからん! というのが、彼らの本音だ。ははは、それでいいのだ。奴らに尻尾をつかまれてたまるものか。我々はこれからも、ずうっと曖昧な日本の言葉を喋り続けるのだ。それでも我々日本人同士なら分かり合えるのだから、それでいいのだ。できれば、少しばかり老人力をつけて、呆けてるぐらいの方がいい。

「ホンモノの日本語」とは、「正しい」「美しい」日本語ではなく、我々を守る、武器となる日本語のことである。みなさん、ホンモノの日本語を話していますか?

小川顕太郎 Original:2002-Nov-6;