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 Diary 2002・5月19日(SUN.)

素読の効果

 今年から採用された「ゆとり教育」対応の教科書というのは、本当に酷いみたいですね。特に色々と言われているのが国語で、なんと夏目漱石や森鴎外が消えて、辻仁成や松任谷由実やサザンオールスターズが載っているらしいじゃないですか!(ところで、このパソコンというのも酷いですね。「オウガイ」が「鴎外」って、変換されるんですが、これ間違っているやろ! 悪の元凶は JIS で、拡張新字体をどんどん作って、日本語を破壊しまくっている。これぞ国賊! 天誅を下すべきですね)

 これはもう、日本人全員を馬鹿に育て上げ、国力を減退させようという、****の陰謀としか思えない。もともと戦後の国語教育というのは酷かったけれど、それでもまだ、珠玉の名文に触れることが出来ただけでも、マシだったともいえる。

 そもそも、この文章に出てくる主人公は何を考えているでしょう? などと尋ねたり、下らない作文を書かせたりとかは、全て国語の教育として間違っている。やはり国語の基本は素読。とにかく名文を(声に出して)読ませて、丸暗記させる。語彙や言い回しが豊富になれば、それだけ考え方も精緻になるし、感受性も育まれる。さらに名文の持つ緊張感が、子供をシャキッとさせる。素読なくしてなんの国語教育ぞ。

 そういえば、オパールでも、オイシンを修行させるのにやったことの第一が、素読であった。嫌がるオイシンに無理矢理さまざまな文章を読ませ、覚えさせた。まあ、覚える方はダメだったが、それでも無理して色々と読んだ結果、な、なんと! オイシンは夏目漱石を愛読するまでになってしまったのだー! ガーン! あの軽薄で、精神のゆるみが全身に出まくっていたオイシンが、今では普通の人間。というか、時によっては、なかなか立派な人間にみえるようで、たまにそういう恐ろしい風評をきく。私は、(実は)冗談半分でオイシンに施した素読の圧倒的な効果に、寒気さえ覚えて立ちつくすのでした。

 というわけで、みなさん。素読、素読、素読です。教科書を投げ捨てて、論語でも素読しましょう。

小川顕太郎 Original:2002-May-21;