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 Diary 2002・5月18日(SAT.)

カンフー

 昨日来店してくれたタカシくんに聞いたのだが、少林寺拳法って基本的に闘わないんですね。いや、闘うところもあるのかもしれないけれど、タカシくんのやっている少林寺は、基本的に組み手のみで、試合も二人一組で出場し、組み手の正確さや美しさ(?)を競うのだという。なるほど。これはもうダンスですね。

 例えば映画の中のカンフーは、当たり前かもしれないが完全にダンスとして扱われていて、カンフーの指導をする人は、振り付け師と呼ばれたりする。それで黒人はカンフーが好きなのか! というのは、黒人→ダンス→カンフー、という単純粗雑な観念連合ですが、しかしホントに黒人はカンフーが好きですよ。最近のブラックムービーは、ヒップホップ+カンフーというのが、ひとつの型になっていますから。

 ところでヒップホップ+カンフーといえば、思い浮かぶのはウータンクランですが、ヒップホップ+武士道という斬新なコンセプトを展開してみせたジム・ジャームッシュの映画『ゴースト・ドッグ』のサントラを、ウータンクランの RZA がやったのは、実はヒップホップ+東洋武道というのがポイントなのではないか? と思わせ、やはりヒップホップというのは、現下の白人が支配する世界においてマイノリティーが闘争するのに最適なフォームなのだ、と思ったりするわけです。

 しかし、考えてみれば 70 年代のブラックスプロイテーション映画の中でも、カンフーは愛されていた訳で、やはり武器を持った相手に素手で立ち向かう、というのが、圧倒的な文明の利器で支配しようとする者に対して身体ひとつで立ち向かう、というマイノリティー闘争のスタイルとパラレルだからでしょうね。そういえば 70 年代には、ソウルの世界でもカール・ダグラスの『カンフー・ファイティング』という名盤があります。カール・ダグラスといえば、『Serving A Sentence Of Life』というノーザンソウル・クラッシックも歌っている訳で、やはりノーザンも、メジャー産業化していく音楽業界に対するアンダーグラウンドな闘争、という意味合いで、カンフーとパラレルなんだよなあ、と多少強引にまとめて、感慨にふけったりしてみました。

 話変わって、もうお気づきの方も多いと思いますが、オパールの看板(エキスポ制作)の横に、サブ看板ができました。メニュー表の一部が載っているのです。ババさん制作。素晴らしいです。自転車乗りとしての個性が、分かる人には分かるようになっております。要チェック。で、チェックしたら、そのままオパールへお越し下さい。お待ちしております。

小川顕太郎 Original:2002-May-20;