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 Diary 2002・3月15日(FRI.)

被害者の人権

「被害者の人権」などない、というのは、宮崎哲弥あたりが散々言ったので、いまや知っている人も多いだろう。これは、人権とは対公権力に対して発生するものなので、つまり公権力に対して私人を守るものが人権なので、国家権力によって捕まって裁かれている加害者には人権が発生するが、別に国家権力と対峙していない被害者には人権は発生しようがない、という意味だ。まあ、それはそれとして、我々が「被害者に人権なんかない」と言われて釈然としないのは、実際に被害者が酷い扱いを受け続けている、という現実があるからだ。

 別に人権などなければなくても構わないが、だからといって、加害者が保護され、被害者が蔑ろにされてよいという訳ではあるまい。裁判の場というのは、国が、国法を犯した犯人を裁く場なので、被害者は無視されている。裁判所は、被害者や遺族が座る椅子を確保してこなかったし、事件の詳細を遺族に教えない。少年事件では、犯人の少年の名前さえ教えない(99 年に改正された)。それなのに、被害者の実名や住所は報道され、場合によっては顔写真やプライベート情報も、かなり流される。

 そしてなんと驚くべき事に! 加害者は裁判官に対して謝るのであり、被害者や遺族に対して謝るのではない。謝るどころか、逆恨みをして脅迫をする場合もある(住所やプライベート情報は流れているので脅迫は簡単だ)。結果として、被害者やその遺族が、逆恨みの脅迫を恐れて、引っ越ししたり、職を代えたりするのだ。「犯罪白書 平成 11 年版」によると、家族を殺された遺族の 6 割以上が病気になったり、精神的におかしくなっている。7 割以上の遺族が「家庭が暗くなった」と証言しており、崩壊する遺族家庭も多いという。

 おっかしいじゃないか。こういうおかしな事に対して、敢然と闘いを挑んでいるジャーナリストの第一人者が日垣隆である。『少年リンチ殺人』(講談社)という本があるし、いま雑誌「新潮 45」でも、『封印された殺人の記録』という連載を持っている。おかげで日垣隆は、凶悪な少年殺人犯から逆恨みされ、「出所したら家族ともども殺してやる」といった脅迫を受けていたり、犯罪者の人権を守る市民運動の団体から圧力をかけられたりしているらしい。うーむ。

 いや、なんでいきなりこういう事を書いたのかというと、私が犯罪被害者になったから、という訳ではなく、『いのちを守る安全学』日垣隆、他(新潮 OH! 文庫)を読んだからです。スゴク面白く、且つ有益な本。お薦めです。

小川顕太郎 Original:2002-Mar-16;