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 Diary 2002・12月14日(SAT.)

軍歌

 一昨日の演歌サバイバーズで、私は軍歌を歌った。『空の神兵』。私が知っている軍歌の中でも、最も華麗で、メロディーのきれいな曲だ。実を言うと、私は今まで軍歌に対して偏見を持っていた。愛国心を鼓舞する、という目的が第一にあって、そのため音楽的完成度は二の次にされている、というイメージを勝手に持っていたのだ。しかし、その考えは間違いであった。たとえ「愛国心を鼓舞する」という目的が第一にあったとしても、素晴らしい音楽はいくらでも出来る。音楽は音楽以外の目的を持たず、ただ良い音楽を作るために曲を作るのがよい、という、芸術至上主義的な考えに、私は無意識のうちに侵されていたのだ。こんなもの、ひとつのイデオロギーに過ぎない。

 そもそも、古代以来の芸術の多くは、なんらかの目的のために作られたのではないだろうか。王の権威を讃えるため、神の愛を寿ぐため、自分の好きな異性を口説き落とすため、等々。インスピレーションが突然芸術家を襲い、やみくもに、目的もないままに、どうしようもなく作品を作ってしまう、というのは、たぶん近代の神話だろう。むろん個人主義の時代にはそういう事もあるだろうが、そういった芸術が、国のために作られた芸術より優れているという保証はどこにもない。単に独りよがりな作品に終わることも多いだろう。だから、戦争の時代に、愛国心を鼓舞するために作られた音楽に、素晴らしいものがあっても当然なのだ。それは、国策映画と言われるものの中にも、素晴らしい作品があるのと同じだ。こんな単純な事実に、私は軍歌を自ら歌うことによって、やっと気が付いた。これも、演歌サバイバーズの功徳だろう。

 軍歌と言えば、私は澁澤龍彦を思い起こす。澁澤は大の軍歌好きで、澁澤が主催する宴では常に軍歌を咆哮することが強制され、さらに歌詞を間違えたら、最初から歌い直しを命じられたという。なんとも恐ろしい宴だ、それにしても澁澤の音楽オンチにも困ったものだ、などと考えていたのだが、この考えは訂正する必要がありそうだ。まあ、澁澤が音楽オンチなのは多分そうだが、軍歌好き→音楽オンチ、という図式はどうにも杜撰すぎたようだ。軍歌は音楽的にも素晴らしい(ものもたくさんある)。さらに言うなら、歌詞もよい。ちなみに『空の神兵』の歌詞は「藍より蒼き 大空に大空に たちまち開く 百千の 真白き薔薇の 花模様 …」といった具合。軍歌も、21 世紀の日本に伝えていかねばならない、日本の魂(こころ)だと思う。年末ゆえか、明らかに酔っぱらって来店するお客さんが多かった。忘年会帰りに寄ってくれるのだろう。みなさん、軍歌を歌っていますか?

小川顕太郎 Original:2002-Dec-9;