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 Diary 2002・4月25日(THU.)

壬生狂言

 壬生寺に、壬生狂言を見に行く。壬生狂言は、正式には「壬生大念佛狂言」と言うが、愛称として「壬生さんのカンデンデン」ともいって、昔から京都の人達に親しまれてきた。始まりは、鎌倉時代に壬生寺の円覚上人が、自分の教えを聞きに来る人々の数があんまり増えすぎたので、多くの人々にいっぺんに分かるように行った、仏の教えを織り込んだ無言劇だとされている。じっさい今でも、演じる人はみんな仮面をつけ、一切言葉を発せず、鉦・太鼓・笛を伴奏に無言劇を行っている。一種、異様な雰囲気の漂う劇である。

 実はこれらのことは、壬生寺で売っている 200 円の解説書にも書いてあるのだが、壬生狂言に関しては、この解説書には書いていないもっと重要な事がある。それは、壬生狂言で使われる衣装は、死者のものだ、という事だ。死者の親類縁者によって奉納されたもので、戒名や奉納年月日、菩提を弔う言葉などが書いてあるものも多いという。だから、実は壬生狂言で舞っているのは、死者達なのだ。顔はお面の下に隠れて見えないし、声も聞こえない。奉納した着物の持ち主である故人を知っている人達にとっては、故人の着物を着て舞っている演者は、まさに故人そのものなのだ。そうやって死者を弔うのが、壬生狂言の本来の姿なのではないか? とも、いわれていて、私はそのことを念頭に置きながら、壬生狂言に臨んだのであった。

 さ、さむい! 猛烈に寒い。4 月とは思えない底冷えの厳しさで、風が吹けば、吹きさらしの観客席の人達はみな一様に震え上がっている。壬生狂言は、高く作られた特別の舞台で行われ、それがまた面白いのだが、外で見なければならない我々にとって、この寒さは厳しい。トモコも段々青ざめてきて、かなりやばい感じだ。

 壬生狂言そのものは、かなり面白く、本などで読むと「退屈」などと書いてあるが、爆笑シーンもあり、楽しめた。ただ、あんなに寒くなければ…。

 あ、あんまり寒くて、死者うんぬんということは、すっかり忘れていましたー。

小川顕太郎 Original:2002-Apr-27;