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 Diary 2001・9月20日(THU.)

伊勢参り(前)

 午前 1 時 40 分。最後のお客さんを送り出した私とトモコとショウヘイくんは、大急ぎで片づけにとりかかった。1 時間ほどで片づけを終えた我々は、ショウヘイくんの運転する車で一路三重県へ。我々はお伊勢参りに向かったのだ。

 仕事の疲れもなんのその。搭載した CD ラジカセからノーザンソウルを鳴り響かせながら、夜道を走る走る。最初の目的地は夫婦岩のある二見浦だ。そこで日の出を拝むこと。まずここで禊をしてから、猿田彦神社に詣で、それから外宮(げくう)、内宮(ないくう)とまわるのが、お伊勢参りの順序らしい。で、日の出が午前 5 時 40 分頃だというのでそれに間に合うように、車を飛ばしまくったのだ。

 (多分)何度か死の淵に接しながらも、なんとか夜明け前に二見浦に到着。すでに集まっている 10 人ほどの人と一緒に日の出を待つ。ここには二見興玉神社があり、天の岩戸(?)があってその前にアメノウズメノミコトの像がある。先日『日本誕生』を観ていた私は、思わず「おお、乙羽信子!」と叫んでしまった。そして何故かそこいら中に蛙の像があって、それを触ったり、でっかい貝殻の中に連れてきたポーを入れたりして遊んでいるうちに、フト見ると、みんな海に向かって手を合わせている。うおー、と駆けつけると、ちょうど海からポッカリと太陽が出てきた所だった。さて、お伊勢参りのはじまりである。

 順序通りに猿田彦神社に行く。猿田彦大神は、天孫降臨の時にニニギノミコト一行を迎え、高千穂まで案内した神様だ。垂仁天皇の御代に、倭姫命が神宮鎮祭の地を求めて全国を巡歴していると、この猿田彦の子孫の大田命が倭姫命を迎え、自らの守護していた霊域を献上した。で、そこに伊勢神宮が出来た訳で、なんとも重要な神様だ。伊勢神宮に参る前に行かなければならない訳だ。

 ここには「さるめ」という名前でアメノウズメノミコトも祀られている。何故かというに、アメノウズメノミコトは迎えに出た猿田彦に最初に声をかけた神様であり、案内してくれた猿田彦をここまで送ってきた神様でもあるからだ。うーん、佐瑠女=さるめ=サロメ? とか下らない連想をしながら、私は猿田彦を思わせる人物が狂言回しをつとめる手塚治虫の『火の鳥』を思い起こしていたのであった。

 次に外宮に行く。が、時間は午前 7 時頃。さすがにお腹が空いてきて、とりあえず朝食が先だと、探しに出かける。そのときにたまたま月夜見神社に出くわしたので、順番を無視して(?)、お参りする。ここは吃驚するほどモダンでかっこいい神社だった。真四角の空間に黒と白の石が交互に敷き詰められ、その空間の半分の所に建物が建っている。もちろん、伊勢神宮の神社はみなそのような形で建っているのだが、なぜここだけこんなにモダンな感じがするのか。よく分からないままに深く感銘を受け、二拝二拍手一拝をする。

 しかし、もう午前 8 時になろうとするのに、どこも開いていない。だいたい人通りがない。この街にはサラリーマンがいないのか? とブツブツ言いながら、伊勢市駅周辺をうろついていると、あった。朝食 400 円、と書いた看板を出している、やっているのかいないのか一見しただけでは分からない、ボロボロの店が。中にはいると、いくらボロボロで汚いとはいえ、往時はさぞ栄えたのであろうという感じが漂っている。内装も、よく見ればかなりモダンでかっこいい。よく見なければゴミみたいだが。メニューに突然「伊勢海老定食 3800 円」とあるのも変だ。とにかくそこで朝食を済ます。「味の素のかかったハムエッグなんて、30 年振りぐらいかも」と、トモコが顔を青ざめさせていた。

 いよいよ伊勢参拝だ。まずは豊受大神宮(外宮)から。いやー、なんといいますか、勘違いと言われようが気のせいと言われようが、やはりここは違う! 神韻の気が満ちています。

 もともと私は神社が好きなのだが、ここは神社の総元締めというか、参拝するこちらの側の気の引き締まり方もまた特別だ。手水舎で手と口を清め、中に入る。大きく深呼吸をすると、ほんとに身も心も清められるようだ。とても広い所なのだが、美事なまでに綺麗に掃き清められている。まさにこれこそが清浄。神道の核心のひとつがこの「清浄」だ。常に綺麗に掃き清められており、木々に囲まれているので空気も新鮮。建物も 20 年ごとに建て替える。ここには「清浄」というものが体現されている。参拝する人は、入る前に手水舎で象徴的に身を清めてから、域内に入る。そこで我々は生まれ変わるのだ。やっぱ、神道最高! 日本が「神の国」であることの有り難さをしみじみ感じる。

 参拝中に我々は、定年退職してから 19 年間、嵐の日以外は欠かさず毎朝参拝しているというお爺さんに捕まり、伊勢神宮に関する講義を聴かされる。山口誓子の「日本がここに集まる初詣」という俳句を引きながらする説明はなかなか面白かったし、もしかして説明し慣れているのか、要領よくまとまっていて分かりやすかったが、なんといっても長かった。我々は蚊と闘いながら謹聴する。

 次は皇大神宮(内宮)。ここに祀られているのは、言わずとしれた天照大神。天皇家の祖先であり、ひいては我々日本人全ての祖先である。とされる。日本人であるなら、一生のうち何度かは訪れなければならない所だ。関西の人達は、たいてい修学旅行で行っているものなのだが、なぜか私は行っていない。いや、どうやら小さい頃に親に連れられて行っているようなのだが、まったく記憶にない。だから今回が、私にとって初参拝だ。やらなければならない事をひとつし終えたようで、ホッとする。

 お昼になったので、伊勢神宮のそばにある「おはらい町」と「おかげ横町」をぶらぶらし、「ふくすけ」で伊勢うどんを食う。しかしこの頃には実は疲れと眠気でフラフラになっていた。なんといっても前日に仕事を終えてから、そのままぶっ通しでここまで来たのだ。おまけに「おはらい町」では様々な地酒が売っており、それを一杯 150 円から 200 円くらいで味見ができる。調子にのって 5 杯も 6 杯も飲んでいると、頭が茫然となってきた。はやくホテルに行って、寝たい。…が、チェックインの時間である 15 時までにはまだ時間がある。そこでさらに他の所をまわる事にした。

 月読神社に詣で、神宮徴古館・神宮農業館・式年遷宮記念神宮美術館をまわる。それぞれに興味深い事があったのだが、今はそれを飛ばす。我々はなんとか予約していたビジネスリゾートホテル「ホテルキャッスルイン伊勢」までたどり着き、部屋に入ると、そのまま前後不覚で眠ってしまった。


伊勢参り(中)

 15 時過ぎに泥のごとく寝入ってしまった我々だが、19 時には起きねばならなかった。なぜならここでの夕飯が 20 時ラストオーダーであり、それを逃すと、こんな田舎では何も食べる事ができない恐れがあったからだ。

 20 時ぎりぎりに食堂に飛び込んだ我々は、張り込んで一番高い定食を頼んだ。伊勢の名物が盛り込まれている。海鮮類(刺身と寿司)と伊勢海老のフライと松阪牛。「狂牛病、狂牛病」と言いながら、松坂牛を食べる。

 しばらく休んでから、夜の参拝に出かける。まずは日本最古の厄よけ神社と言われる「松尾観音寺」。次に天の岩戸。

 この天の岩戸が凄かった。とりあえず駐車場まで車で行ったのだが、そこがすでに森の中にあり、且つ電気が通っていない。真っ暗だ。我々が車から降りると、先客がいたらしく、森の奥から懐中電灯の明かりとともに若者が 4 人、帰ってきた。女の子が「恐かった〜」と震える声で言っている。確かに恐そうだ。我々もショウヘイくんの持ってきた懐中電灯の明かりひとつを頼りに、森の中に踏み込んだ。

 ほんとーに、真っ暗。振り返ると、なんにも見えない。手を顔の前に持ってきても、見えない。目を開けていようと閉じていようと一緒だ。ここまでの暗さ、というのは日常生活でそうそう体験できるものではない。川のせせらぎの音と、虫の鳴く声が異常な大きさで迫ってくる。ここで懐中電灯の電気が切れたら、もう帰られないな…と真剣に思う。

 なんとか天の岩戸までたどり着いたものの、懐中電灯の光に照らし出される石灯籠、鳥居、本殿、岩戸、などがほんとにもの凄くて、トモコなんて完全に足が竦んでしまっている。それでも暗闇の中にひとり取り残される事のほうが嫌なので、なんとか附いてきている、といった感じだ。ここの湧き水は日本の名水に選ばれているようで、ちょっと汲んで帰ろうと入れ物を持ってきていたのだが、とてもそんな気になれず。それでも失礼にあたらないように、きちんとお参りをしてから引き返す。

 それにしても、人間の無力さ、電気の有り難さを痛感した。こんなんじゃあ、絶対に他の動物に負ける。夜に襲われたら、いちころだ。だいたいこんなの、安心して眠られない。いやあ、文明って大切ですねえ。先人達に感謝。

 森の奥から駐車場に戻ってくると、さきほどはあれほど暗く思えたのに、星明かりのせいでかなり明るく感じた。いやあ、星って偉大ですねえ。星屑までしっかり見えて、まさに降ってくるような星空にしばし見入り、そこを出た。

 ホテルに帰り、24 時間やっている風呂にはいる。ここを宿に選んだ理由は、値段の安さもさることながら、24 時間大浴場がやっている事だ。しかも男湯は露天風呂がついている。まあ、露天風呂っていっても、ホテルの屋上みたいなもんなんですが。伊勢の町並みを眺めながら、夜風に吹かれて湯に浸かる。ううん、気持ちいい。しかし、明日も朝が早いんだったなあ、早く寝ないとやばいよなあ、と考えながら、私は誰もいない真夜中の露天風呂で、プカプカ浮いていたのでした。

小川顕太郎 Original:2001-Sep-22;