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 Diary 2001・11月24日(SAT.)

田中角栄

 副島隆彦の新刊『テロ世界戦争と日本の行方』を読みながら考えた。私をここまで連れてきたのは、田中角栄だったんだな、と。

 そもそも私が政治的な事に興味を持つようになった最初は、たぶん田中角栄だ。私が中学生の頃、すでに角栄はロッキード疑獄の真っ最中で、極悪人のように喧伝されていた。周りの友人も大人達も、みな角栄の事を悪く言っていた。しかし、何故か私は納得できなかった。何故、角栄がそこまで悪く言われるのか、というのが分からなかった。角栄が 5 億円の賄賂を受け取った容疑で罪に問われている、というのは勿論知っていた。が、何故そのことがそんなに悪い事なのか、分からなかった。

 政治の事など何にも分からない、当時の私のような者でも、政治には賄賂がつきもので、問題は賄賂を貰おうが貰うまいが、立派な成果をあげるか否かだ、というぐらいの理屈はこねれた。これはいわゆる「動機責任より結果責任」という奴で、なんでこのような考えを当時の私が持っていたのか、実はいささか謎で、たぶん誰かに吹き込まれたのだろうけれど、それでも私はその理論に深く納得し、この理論を持って周りの友達や大人に疑問をぶつけたのだが、誰も明確な答えを出してくれなかった。たしか「あんな奴が 5 億円も貰っている事自体、むかつくんじゃ!」という、答えにもならないものが、大半だったように覚えている。

 で、私はモヤモヤを抱えたまま、それでも深く拘る事はなく、半ば忘れた状態で年を重ね、高校生になった。そしてある時、書店で 1 冊の本に出会う。それが小室直樹著『田中角栄の呪い』(光文社カッパビジネス)であった。この本との出会いは衝撃だった。とにかく、私が長年モヤモヤと悩み続けたことに対する答えが、考えられる限り明晰に書いてあったのだ。さらに、実は田中角栄は無罪・ロッキード疑獄はでっちあげの可能性がある、とまで書いてあったのだから、本当にびっくりした。この後、私は小室直樹の他の著作も、折りをみては買い求めて読むようになった。たぶん、あの時が「最初」だったのだ。

 つまり、これが現在まで繋がっているのだ。副島隆彦は小室直樹の弟子である。そういう事なのである。田中角栄が、アメリカの謀略によって失脚させられた事がほぼ明らかになった現在からみると、小室直樹はほんとに凄かった。私は当時は分からなかったけれど、小室直樹は日本中のほぼ全メディアを敵にまわして、ボコボコに叩かれながら頑張ったらしい。以後、変人学者という扱いになって、メディアの周辺部に追いやられた。(渡辺昇一らが「ロッキード裁判はおかしい!」と騒ぎ始めるのは、1 年ぐらい後)

 あー、誰か田中角栄の映画を撮らないかなー。スパイク・リーの『マルコム X』みたいな奴。角栄はアメリカに支配された日本民族のために闘い、一定の成果を上げた後、アメリカに謀殺された点で、マルコム X に似ているでしょう。どちらも演説が凄く上手かったらしいし。角栄 T シャツとか、角栄キャップとか作ってさあ、田中角栄の再評価に…ならないかなあ。

小川顕太郎 Original:2001-Nov-26;