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 Diary 2001・11月20日(TUE.)

ノーザンソウルの世界

 ヒラノさん来店。「ノーザンのシングルも、もう買えそうなヤツは大体買い尽くした感じですねえ」と言う。この「買えそうなヤツ」というのがどの程度のものなのか、分からないなりに私が推測するに、たぶん、一枚 10 万円から 20 万円の間のクラスだろう。最近はヒラノさんに限らず、他の DJ 達も、これくらいのクラスのシングルをかけるので、せいぜい頑張って 1 万円台のシングルを買う程度の私は、唖然とするばかりだ。いったいどうなっているのか。もちろん、このクラスより高いレコードはある訳で、なんというか、やはり、ノーザンのシングルは高すぎるやろ! と思う。

 R & B のシングルを激烈に集めまくっているタカダくんは、「1 万円、いや 2 万円出せば、たいていの R & B のシングルは買えます。ノーザンは異常です」と言っていたし、先日マンガ「レコスケ」を読んでいたら、レコード一枚に 5000 円以上出すようになったらヤバイ、と書いてあった。そうだよなー、普通の人の感覚でいったら、ヤバイよなー。

 ところで、時々この日記を読んでノーザンの世界に触れた人から「結局、ノーザンソウルって、金さえあればいいんじゃないんですか?」ときかれる事があるが、これに対して、ちょっと説明を加えておきたい。確かに、お金があれば強いことは強い。ティム・ブラウンも「貧乏人はレコードを買うな」と言っているぐらいだし。が、これはコレクターの世界であれば、どこだってそうだと思うのだが、金さえあればいいってもんじゃない。やはり、情熱と努力、そしていささかの才能と多大なセンスがいるものなのだ。

 ものを集める、というのは、基本的に無私の情熱に基づいている。そこには、大袈裟にいえば、命を捨ててもかえりみない、という純粋な情熱がある。これがなければ、まずコレクターにはなれない。もちろん、他のコレクターに対する対抗意識や見栄など、いわゆる「自我」というやつが入り込むことは大いにあるのだが(そして壮絶な自我同士の闘いに勝ち残らなければならない、というハードな面もある)、突き詰めれば、そこでは「もの」が主役であり、「自我」は消え去ってしまう。「玩物喪志」という言葉があるように、これは危険なことだが、それゆえの甘美な陶酔がある。とうぜん、社会人として失格の淵にいる。が、これをなんとか失格しないように支えている所に、面白さがあったりするのだ。

 あとは、才能とセンス。これもどの世界でも一緒だと思うのだが、高くて良いものを持っていさえすれば、その世界で尊敬されるというものではない。同じようなものを持っていても、やはり尊敬される人とそうでない人が出てくる。これは、才能とセンスの問題なのだ。ノーザンソウルの世界では、やはりダンスが不可欠なので、踊らせる事が大切。マニアも納得させつつ、素人も喜ばす。うーん、大変です。

 で、唐突ですが、次回 1 月 11 日のソウルサバイバーズには、(本当に)スペシャルなゲストがやってきそうです。詳細は近日中に発表します。乞うご期待!

小川顕太郎 Original:2001-Nov-22;