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 Diary 2001・5月15日(TUE.)

キンスキー
我が最愛の敵

 みなみ会館にヘルツォーク監督『キンスキー、我が最愛の敵』(1999 年)を観に行く。素晴らしかった。これは 1991 年に死んでしまったクラウス・キンスキーについて、盟友のヴェルナー・ヘルツォークが思い出の場所をめぐり、一緒に撮影に携わった人々を訪ねながら語っていく、という形のドキュメンタリーフィルムだ。私がクラウス・キンスキーのファンだからというのもあろうが、大いなる感銘を受けた。以下に考えたことを思い付くままに記す。

 一般にクラウス・キンスキーは、凶暴・自己中心的・大傲慢・誇大妄想狂・冷酷で現金とセックスしか頭にない気狂い俳優と思われている。そして正にその通りなのだろうが、この映画を観ると少し印象が変わる。

 確かに撮影中のフィルムを観るとキンスキーは常に荒れ狂っているし、共演者の頭を剣で(兜の上から)ぶったたいて血まみれにさせたりしている。一緒に共演した人々のインタビューでは、男性が「我々は全員彼を憎んでいます」と答えるのに対して、女性は「彼はほんとに優しかった、素敵だった、天才だった」と答えている。性格破綻者であったことは間違いないのだろう。ただ、キンスキーは常に金のことしか考えていなかったという点、これは彼自身が自伝でもそう言っているのだが、金のために映画に出たという点、この点はちょっと違うのではないか、と思った。

 キンスキーは極端な自己演出家だ。ヘルツォークによると、キンスキーは天才をきどり、文明に捕われない自然児のふりをしていた、という事になるが、それはまあそうだったのだろう。だからこそ、キンスキーが「金のために映画に出た」というのは、自己演出・自己韜晦だったのではないか、と思われるのだ。

 ヘルツォークは「キンスキーは天才の振りをしていたが、実際は一日に 10 時間以上も発声練習をしていた」と証言する。これは凄く納得できることで、キンスキーは真に芸術を愛していたのだ。真の芸術家、真の天才だったからこそ、自己韜晦で「芸術のためではなく、金のために映画に出た」と言ったのだ。

 もちろん、キンスキーにとって映画が小さすぎた、という客観的(?)理由もあろうが。トモコが、「キンスキーってニコみたい」と言っていたが、正鵠を得ているだろう。二人はそっくりだ。その自己韜晦・エゴイズム・誇大妄想・性格破綻・凶暴性において。そしてどちらも真の天才であったにも関わらず、秘かに猛烈に練習を積み、素晴らしい作品を残したが、一般にはイロモノとしてみられ、認められなかったところが。

 まだまだ書きたいことがあるので、明日に続く

小川顕太郎 Original:2001-May-16;