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 Diary 2001・6月5日(TUE.)

戦争論

 この日記で右翼的なことを書いているからだろうか、「もしかして鳥肌実のファンですか?」としばしば言われる。というのは嘘で、「もしかして小林よしのりのファンですか?」と言われる。悲しいが、これは本当だ。何故悲しいのかといえば、それは勿論、私が小林よしのりのファンではないからだ。

 もともと小林よしのりのマンガはそんなに好きではなかった。面白くないから。が、面白くないなりに、奇妙にスタイリッシュなところが気になってもいて、ちょくちょく読んではいたのだ。それが『ゴーマニズム宣言』の連載が始まって、「これはメチャメチャ面白い!!」と驚愕。みんなに勧めまくった。…そう、小林よしのりのファン(正確に言うと『ゴ−マニズム宣言』のファンか)だった時期もあるんですねえ。

 ところが、連載が進むにつれて、アレ? っと思うことが増えてきた。そして、オウム真理教の事件が起り、それがらみで小林よしのり批判が起った時に、私は『ゴ−マニズム宣言』と決別した。なぜなら、私もこの小林よしのり批判に、ほんのちょっとだが関係があったからだ。話せば長くなるので事の経過は述べないけれども、そういった訳で、あの当時の小林よしのり批判・それに対する小林よしのりの反批判、などの論争過程は熱心に読んでいた。そして小林よしのりの、事実をねじ曲げたり、下品な誇張を繰り返したり、裏でこそこそ工作をしたり、といったやり方がどうしても許せず、それ以来明確に反小林よしのりを表明するようになったのだ。

 小林よしのりの『戦争論』が出版された時に、これはやっかいなものが出たな、というのが正直な感想だった。もちろん私は人から右翼と罵られるくらいだから、あの大東亜戦争の意義は認めるし、左翼偏向史観(いわゆる自虐史観)は改善されるべきだと思っている。私は『戦争論』は読んでいなかったけれども、大枠においては私と同じ主張が書かれているだろう、しかし小林よしのり的な夜郎自大・デマゴギー的な手法で、と推測し、やっかいだなあと思ったのだ。いくら大筋で正しい事を述べても、『ゴ−マニズム宣言』末期のような夜郎自大・ヒステリックな調子で書かれたんじゃあ、かえって逆効果。やっぱり右翼って嫌あねえ、と思われるに違いない、と暗い気持ちになっていた。

 ところで、先日古本屋で『戦争論』を格安で入手した。最近とみに「小林よしのりのファンですか?」と尋ねられる事が増えたので、いつかは読んでおかねばならない、そして自分とのスタンスの違いを明確にしておかなければならない、と考えていたので、さっそく読む。……いいじゃん。多少説明的過ぎて退屈な所もあるが、夜郎自大・ヒステリックなところがなく、面白く読める。下品な所は多々あるが、まあマンガなんだし、それはかえってプラスの側面ともいえる。内容も、考えていたものよりも、かなり穏やかなものだ。おいおい、みんなこんなんで大騒ぎして、批判本を出しまくっていたのか? って、私も読みもせずに、この本の悪口はかなり言いましたからね。反省します。これは良い本です。オススメ。

 でも最後に一言。『戦争論』が良い本だからと言って、私は別に小林よしのりのファンではありません。私は小林よしのりよりもずっと早く、三島由紀夫や福田恒存や小室直樹のファンでしたから。ま、といった訳で今日はこのへんで。

小川顕太郎 Original:2001-Jun-7;