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 Diary 2001・12月8日(SAT.)

努力論

 ……まったく書くことがない。今日はいつものごとく普通に仕事をしただけで、特筆すべきような事はなにもなかった。そろそろこの日記をつけ続けるのも限界なのだろうか。このような事をし続けて、いったい何になるというのか。最近は仕事の方も順調にいっているとは言い難く、それならなおのこと、こうやって書けない日記を書こうとして無駄な時間を過ごすより、その時間を使って何か商売上の事を考えたりした方がよくはないか。ほんとに、いったいこんな事を続けていて、何になるというのだ。何か意味があるのか? え? …・それが、あったりするかもしれないのだ。

 幸田露伴に『努力論』という著作がある。これを渡部昇一が超訳した『幸田露伴『努力論』を読む』という本があり、この本は可能涼介が「自分の心の支えになった」とまで言う本なのだが、この本がこのたび『運が味方につく人 つかない人』という題名で三笠書房の知的生きかた文庫にはいった。私はさっそく購入して読んだのだが、その中で露伴は人生の成功の秘訣として「習慣」の大切さを再三強調している。「習慣」を身につけるかどうかによって、その人の人生が決まる、と言っているのだ。世の中で成功をおさめる、あるいは一廉の人物になるのは、地道で弛まぬ努力が必要だ。しかし、努力というのはなかなかに難しい。理想的なのは「努力を忘れて努力をすること」だ。それには「習慣」を身につけることだ、というのだ。なるほど。ではこの部分を渡部昇一の超訳で引用してみよう。

 昨日も今日も、自分が決めたことを遂行できず、そのままいたずらに歳月を過ごしてしまうのは、人生に何ら有益なものを残さずに終わる人の共通点だ。だから、決めたことができるということは、どんなに些細なことであっても重大な価値を持っているのである。なぜならば、習慣はその事柄の価値よりも習慣の価値として尊いのであって、習慣ができるできないは、些細な事を大事にするか疎かにするかによって生じるからである。

 われわれは、どんなに小さなことでも自分で決めて、それを成し遂げる努力をすべきである。そして、この習慣をしっかり身につけ、この習慣によって自信を強め、この自信によって有益なる勇気を確実に自分のものとしよう。そしてどんなことでも、途中で投げ出す習癖は絶対に身につけてはならない。その悪癖は自信力を壊滅させ、自信力の壊滅は勇気の枯渇につながっていく。

 …と、いうわけです。だから私はこの日記をやめる訳にはいかない。この日記をやめる事は自信力の壊滅につながり、勇気が枯渇してしまう。逆に、このような些細な事でも、自分の決めたことを守ってやり続けることは、自信の堆積になり、商売上もプラスになる…はずだ。

 今日もちゃんと日記を書きました。

小川顕太郎 Original:2001-Dec-9;