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 Diary 2001・8月21日(TUE.)

ゴジラ

 台風が荒れ狂う中、みなみ会館に『東宝特撮映画大会 2001』を観に行く。本日はゴジラ 3 本立て。『キングコング対ゴジラ』(1962 年)、『ゴジラ』(1954 年)、『ゴジラの逆襲』(1955 年)。私はもともと特撮映画とか怪獣映画にそれほどの関心はない。だから、テレビでチラリと観たりしたのを除くと、多分今回初めて『ゴジラ』シリーズをちゃんと観ることになる。で、どうだったのか。

 やはり『ゴジラ』が圧倒的に素晴らしい。他の 2 本は、特撮や怪獣に興味のない私には、ちょっとつらかった。やはり、『ゴジラ』。もう他の 2 本と(そして多分シリーズの他の映画とも)全然違う。全編に漲る禍々しい感じが凄い。ゴジラに破壊され燃え上がる東京の場面は、はっきりと東京大空襲を思わせる。これはいまだ戦争の記憶が生々しい日本、民間人の組織的な大虐殺である原爆と大都市空襲を受けた日本だからこそ撮れた映画だ。全世界に影響を与えた、というのが納得できる、凄い映画だった。

 ところでこれだけ凄い映画なので、ファンの間では、この映画に関する様々な謎や噂が飛び交っている。

 中でも有名な謎として、何故ゴジラは皇居を避けて破壊をするのか、というものがある。確かに国会議事堂をたたき壊して暴れ回るゴジラは、皇居の前でクルリと向きを変え、海に帰っていく。この謎の説明としては、やはりこれも有名なものだが、ゴジラは南太平洋で散っていった大東亜戦争時の戦士達の霊が凝ったもの、というのがある。だからゴジラは南太平洋から生まれ、東京を目指す。しかし死してなお天皇制の呪縛から逃れられない兵士達=ゴジラは、皇居を破壊することが出来ず、虚しく海にかえっていく…というのが川本三郎の唱える説だ。

 なかなか面白いが、私はちょっと違うように思える。この説は左翼くさすぎる。それなら私は、戦士達の霊=ゴジラは自らの鎮魂をもとめて皇居にやってくるが、そこにはかつての現人神として鎮魂の霊力を持った天皇はすでに居ず、人間宣言をしてしまった天皇しかいなかったので、絶望して海に帰っていく…という赤坂憲雄の説の方がいいと思う。赤坂憲雄によれば、この主題によって『ゴジラ』は三島由紀夫の『英霊の声』と響きあう、ということになる。

『英霊の声』は、226 の処刑された兵士・大東亜戦争時に特攻隊として玉砕した兵士達の霊が、我々は現人神たる天皇のために死んだのに何故かってに人間になってしまったのだ! と、恨みの声をあげる、という小説だ。

 天皇が人間宣言をしてしまったがために、戦後は風俗が乱れ、文化が低俗になり、ゴジラは何度も来襲してくる、という訳だ。うーん、だからこそ、靖国神社の参拝、天皇陛下による参拝が必要なのですね。首相の公式参拝も必要だけれども、天皇陛下による参拝の復活を是非! ということで、今日の日記は締めくくらせて戴きます。

追記
河原町の映画館が台風だからという理由で、最終回の上映を中止したのに較べて、みなみ会館は私を含めてたった 4 人の観客のために、最後まで『ゴジラ』を上映しました。偉い!! みんな「みなみ会館」を応援しよう!
小川顕太郎 Original:2001-Aug-23;