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 Diary 2001・8月19日(SUN.)

お見舞い

 兵庫医大に入院している祖父のところに、トモコと二人でお見舞いに行く。最近祖父はすっかり弱ってしまって、入退院を繰り返している。入院しても、家に帰りたくてちょっと良くなればすぐ退院し、また調子が悪くなって入院。でも家に帰りたくて…というのを、繰り返しているのだ。まあ、病院は酷いところだから、家に帰りたい気持ちはよく分かる。病院で祖父を死なせるような事は避けたいし、畳の上で死なせてあげたい。と、私なんぞが思っても、どうなるものでもないのだが。

 前にも書いたかもしれないが、とにかく食事が酷い。私は何も、贅沢なものを食べさせてあげたい、と言っている訳ではない。粗食でも構わない。が、病院の食事の酷さというのは、愕然とするばかりだ。まず、根本的に、栄養学的(?)にも無茶苦茶だ。丼鉢に山盛りのご飯。その上に、市販のふりかけがかかっている。それとポテトサラダ。これだけで、もう澱粉のオンパレードだ。市販のふりかけには、砂糖が多く混ぜてあるから、もう身体を壊せといわんばかりだ。

 さらに、おひたしと魚の焼いたものがおかずとして付くが、見るからに冷え切ってまずそうだ。私が強調したいのは、食事に愛情がまったく込められていない、という点だ。食事というのは、愛情である。同じ食材を使っても、ここまでまずそうに作るのは、愛情が徹底して欠けているからだ。いくら大病院で、同じものを大量に作るからといって、これは酷すぎると私は思う。

 食器もひどくて、安っぽいプラスチック製(?)の、俗悪な見た目のものだ。食事とは、また器のことでもあるのだ。患者に対する愛情が、ほんの一握りでもあれば、このような酷いものは出せない、と私なんかは思ってしまう。このような事で、ほんとに病気を治せるのか?

 とにかくお見舞いに行くたびに、早くここから出してあげたい、と思う。祖父の、早く家に帰りたい、という気持ちが身にしみる。とはいえ、家に帰ったら、祖父の面倒をみるのは、同じく年老いた祖母と代わる代わるに家をたずねる子ども達(私の母や叔父・叔母)なので、私のように面倒をみる苦労をしていない人間が、あまり偉そうな事をいう資格はないのだが。

 私は絶対に病院で死にたくないし、トモコを病院で死なせたくない。しかし、そのような事が可能なのか? と深く考え込みながら、病院を出た。

小川顕太郎 Original:2001-Aug-21;