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 Diary 2001・4月22日(SUN.)

歩く塔

「諸君!」5 月号を読んでいたら、池田武邦・小川三夫・塩野米松の 3 氏による「コンクリートジャングルはもういらない」という鼎談が載っていた。これは「法隆寺から脈々と続く千三百年の“木づくり”の心は質実剛健、どんな超高層ビルにも勝る」という見出しから予想される、そのまんまの内容だが、そのなかに宮大工の西岡棟梁による「法隆寺や薬師寺の塔は地震のときに移動する」という興味深い発言が引いてあった。

 どうやら地震で倒れた塔というのはないらしい。塔というのは、ビルと違って、地面と一体化していず、伏せて置いた自然石の上に柱がたっていて、それを瓦や壁の荷で押さえているものらしい。だから地震の時には歩く。濃尾地震の時には文化財の三重塔が、コトコト歩いて、1 メートルほどずれて今も建っているそうだ。これは面白い。

 ショウヘイくんがゼネコンで働いていた時、ある寺院の建設(改築だったかな?)に携わったそうなのだが、この寺院は骨組みは鉄でやり、それを隠すようにまわりを木造にするという造りだったため、宮大工の人達と一緒に働くことになったのだそうだ。ショウヘイくんは、宮大工の人達が木を削って、それらの木を一分の隙もなく組み上げて行くさまに、惚れ惚れしたという。びっくりするような変な形に木を削っても、ほんとにピタッと合うのだそうだ。職人恐るべし。

 自衛隊もいいけれど、こういった職人の世界もいい。それは厳しい規律・礼儀があるというのもさることながら、それと関係することだけれど、『自由』がない、というのがいいところなのだろう。

 黒沢清監督『カリスマ』に、男の子が「自由は病気だぞ。本当に健康な人間のもとめるものは、服従だ。」と言うシーンがあるが、そのシーンに深く感銘を受けたというショウヘイくんなら、この意味は分かるだろう。この鼎談でも、職人の小川三夫がこう言っている。「今は『ゆとりの教育』とか言いますけど、ゆとりは耐え抜いた人がもてるのであって、最初からゆとりを持たせたって絶対だめです。馬鹿になるだけですよ。やさしさだってそうです。厳しく生きた人が感じさせるやさしさは違う。耐えた後に考えれば、正しいことがわかるけれども、耐えていない人にはわからないことがあるのです。」

 可能涼介来店。「だいたい今の 23 歳から下の世代が、極端にバカになっているみたいね。」と独自のフィールドワークに基づく、怪し気な独断をくだす。しかし、24 歳の折り紙付きのアホ・オイシンを抱えるこちらとしては、ちょっと納得しがたい。まあ、ものごとには何でも例外はありますが。

 可能は明日、童仙房に行くそうだ。京都造型芸術大学のハシグチさんも巻き添えをくらって、同行するらしい。頑張って行ってきて下さい。

小川顕太郎 Original:2001-Apr-24;