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 Diary 2000・9月26日(TUE.)

猫の挨拶

 本日も前日に引き続きメチャ暇である。そこで久しぶりに雑誌を乱読できた。「映画芸術」「映画秘宝」「美術手帖」など。そこから拾った雑知識を並べてみる。

「映画芸術」では、スガヒデミと井土紀州との対談から。最近映画批評の本を久しぶりに出したハスミシゲヒコは、造反教官として学園闘争の時期にヒーローであった天沢退二郎と学生時代からの同期であり、当時の天沢の活躍ぶりを見ながら、その限界も冷静に見極めつつ、次代の戦略を練り、世に出てきた、という事らしい。ハスミの「表層批評」や「享楽」という批評のスタイルが、60 年代以来の「意味」「政治」重視の批評スタイルに対するアンチである事は分かっていたけれど、そのような根があったとは。ちなみに同期生として、ハスミは天沢より成績優秀であったそうだ。

「映画秘宝」からは、アメリカ学生社会のマトリックスについて。アメリカでは、私立の学校というのがほとんどなく、同一地域に住む子供達は、貧富や成績の善し悪しに関係なく、小・中・高と同じ学校に行き続けるという。だから学園は差別社会アメリカの濃縮された縮図が展開され、陰湿なイジメや露骨な差別がバッコする「戦場」なのだという。故にハリウッドの「学園もの」を観る際は、この視点を忘れずに観るとよい。これは「表層批評」ではないかもしれないが、「享楽」の鑑賞スタイルである。

「美術手帖」は岡本太郎と万博の特集。ここには現在の「太陽の塔」の内部の写真が収められてあり、それが凄い。原色に塗られた壁に囲まれて廃墟がそこにはあるのだ。中に入ったサワラギノイによると、内部にあった「生命の樹」の根本部分、つまり当時は原始の海であった部分には、現在水が溜まり黴が繁殖して、本当に「原始の海」みたいになっているそうだ。サワラギノイも書いていたが、ここには均質化・情報化された現代社会に「祭り」「非日常」「聖なるもの」を復活させようともくろんでいた岡本太郎の狙いが、結果として成立している。つまり現代社会において、「聖なるもの」とは、廃墟として・ゴミとしてしかあり得ないのだ。やはり「太陽の塔」は偉大だった?

 トモコが今日、隣りの猫に挨拶されたという。猫の挨拶ってどんなの? と尋ねれば、両目をパチっとつぶる事らしい。トモコもちゃんと挨拶を返しておいたそうだ。「これで私もこの町内に受け入れられたかも。」とトモコ。しかし、我々の町内の人間達は猫退治に忙しく、町中ペットボトルだらけなんだけどなあ。

小川顕太郎 Original:2000-Sep-28;