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 Diary 2000・9月9日(SAT.)

顧客満足

 最近はどんな店に行っても妙に親切にされて気持ち悪い、もしかして雑誌などに顔写真が載ったからか? と私がいささか自意識過剰気味な事を言うと、ババさんがすかさず「それは『顧客満足』ですよ!」と言う。

「顧客満足」とは、ババさんの説明によると、最近の日本のビジネス界を支配しているキーワードで、「ユーザビリティ」というアメリカのビジネス戦略を輸入したものだそうだ。どういったものかというと、「お客様の言う事は何でも正しい」という言葉のもと、過剰なまでのサービスを行い、客の心をばっちりつかんで売り上げに結びつける、というものらしい。

 例えば「アマゾンコム」という本屋では、書名も作者名も出版社名も分からなくても、お客さんが探している本ならどんなに時間をかけてでも探し出すという。それでお客さんに満足して貰え、「アマゾンコムは良い店」と口コミで拡がればそれでいいと考えるらしいのだが、いかにもアメリカ人の考えそうな事である。

 私が正確に言い直そう。「顧客満足」とは、過剰なまでのサービスを施す事により、徹底的に判断力・思考力・感性等を破壊し、そうして低能化した人々から搾取する、アメリカニズムの権化のような戦略である。

「あーあ。そんな事を言ったらまた誤解されますよ」とババさん。確かに、こんな事をいうと、「オパールは顧客を満足させない酷い店だ」とかいう誤解に基づいた噂が流れたりして、ややこしい事になるかもしれない。こんな事を書くのは愚の骨頂だ。でも、書く。

 例えば「××××」という服屋がある。ここは買った商品が気に入らなければ、何年経っていようと、例え着用したものであろうと、返品が出来るという。これを聞いて「うわあ、凄い! ××××って良い店!」と思うか、「なめとんのか! 人を低能扱いするな!」と思うかで人間は分かれる。勿論、私は後者だ。ぞくに骨董の世界では「金で目を洗う」というが、自分で選び、金を出して買ったものに責任をとらなければ、いつまでたっても商品を見る目が育たない。過剰なサービスをするという事は、人を子供扱い・低能扱いする事で、人は低能扱いばかりされていると、本当に低能になるのだ。と私は信じる。この「××××」の方針も、「顧客満足」のひとつだろう。

 こういったアメリカニズムに抗さなければならない。「カフェ」とはフランス語だが、フランスは反アメリカニズムの牙城である。フランスの古書店では「客の方が偉い」という事はないそうで、客は店の主人に商品を「売って貰う」のだ。当然、店の主人の不興を買うと、売って貰えない。「アマゾンコム」とは正反対の姿勢である。

 これもある意味で行きすぎだが、アメリカニズムに較べれば、方向として支持できる。サービス業とて同様で、勿論サービス業なんだからサービスするのは当然だが、客に媚びる必要はないし、媚びてはならないと思う。それは結局お客さんをバカにする事だ。私は「カフェ」というからには、アメリカニズムに抗すべきだと考える。だから「顧客満足」などというアメリカニズムを経営方針としている所は、私は「カフェ」と認めない。まあ、私に「カフェ」と認められなくても、別にどうって事ないんだけれど。

 あああ…また書いてしまった…。

小川顕太郎 Original:2000-Sep-10;