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 Diary 2000・10月1日(SUN.)

ジュビリー2000/アウトノミア

 そろそろ冷え込んできましたね。私も夜は毛布を被って寝るようになりました。ところでジュビリー 2000 という運動がありますね。最貧国が抱える累積債務を 2000 年末までに一回に限り帳消しにすることを求めている国際的運動です。

 私も最初この運動の事を聞いた時は、ムチャクチャなこと言うなあ、と思ったものです。だって「借りた金は返さん!」ということでしょう。そんな大川某みたいな事を国際的な運動としてやるなんて…。でも、なかなか面白いと思って注目はしていたんですよ。この運動はアフリカ発らしいのですが、引っ張ってきたのはイギリスらしく、ううんいかにもイギリス的だなあ、とか思ったりもしました。

 また、アウトノミアという運動もありますね。これは 1969 年、イタリアの「暑い秋」と呼ばれる運動の中からうまれた労働者の自律性運動です。私も詳しい事は知らないんですが、この運動の代表的なコンセプトのひとつに「労働の拒否」というのがあります。労働の拒否。これまたムチャクチャなことを言うなあ、と思ったものです。いかにもイタリア的だと思ったりして。

 だいたい働かなくてどうやって食っていくねん、と突っ込むと、ちゃんと「アウトレデュチオーネ」というやり方が用意されていたんですねえ。この「アウトレデュチオーネ」というのは自分で勝手に商品の値段を値引きする、というもので、確かにこの方法を使えば働かなくても食っていける。が、それってただの強盗やん! ほんまムチャクチャなことを言いますねえ。ゴダールの映画『万事快調』で、活動家達が「アウトレデュチオーネ」をやるシーンがありますが、みんなあれはただの強盗だと思って観ているんじゃないでしょうか。それでも活動家達に言わせれば「不当な利益を貪る大企業に対する批判行動」ということになる訳です。

 この「ジュビリー 2000」にしても「アウトノミア運動」にしても、ムチャクチャなこと言うなあ、でも面白いなあ、と思っていた訳なんですが、それでも「やっぱ間違ってるよなあ、借りた金は返すべきだし、代金はキチンと払うべきだ」と考えていたんです。ところが最近、ちょっと考え方が変わりました。これは案外「正しい」のではないか。

 私は昔から「ゲーム」とか「スポーツ」とかがあまり好きではなかったんです。何故かというと、「ゲーム」「スポーツ」にはルールというのがあるでしょう。そしてそれを絶対に守らないといけない訳です。スポーツマンシップとはそういう事でしょう。だけど、もしルールを必ず守らなければならないとしたら、「強い奴が常に勝つ」ことになるではありませんか。これは面白くない。退屈だ、つまらない、と私は考えていた訳です。もちろんハプニングで弱い者が勝つ事もあります。が、それはあくまでハプニングであって、ハプニングがなければ強い者が勝つ訳です。で、トータルでみれば圧倒的に強い者が勝ち続ける訳です。あーあ、面白くない。

 私が何を言っているか分からない人もいるかと思います。「強いものが勝つ」のは当たり前だ、それこそ正しいことなんだ、と固く信じている人です。でも「強さ/弱さ」というのは、「ルール」によって決められているのです。

 例えばプロのボクサーとプロの棋士がいるとしましょう。そしてなんらかのゲームで勝敗を決めなければならなくなったとしましょう。負けた方は勝った者のいいなりにならなければならない、つまり奴隷にならなければならない、とします。当然、ボクサーはボクシングで、棋士は囲碁で勝負を決めようとします。どちらも譲らない。当然です。ゲームの形を選んだ時点で勝敗は決まっているからです。そこで業を煮やしたボクサーが「腕力」に訴えて強引にボクシングで勝負を決める事にした、とします。これこそ、今現在、世界中で「グローバリズム」の名の下に行われている事なのです。

 冷戦終結後、「グローバリズム」という形でアメリカ型の資本主義が世界中を制圧しつつあります。「グローバリズム」は一見普遍性を装っていますが、アメリカに圧倒的に有利なルールで出来ています。各国の独自のルールは、「非関税障壁」と呼ばれて次々に壊され、常にアメリカが勝つようにルールが作られます。そういった条件の下にアジアやアフリカの国々は累積債務を重ねていっているのです。

 となれば、「借りた金は返さん!」「代金は払わん!」と言うのも、案外正しいやり方かもしれません。長々と書いてしまったので今日はこの辺で。

小川顕太郎 Original:2000-Oct-2;