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 Diary 2000・11月3日(FRI.)

調子が悪い

 相変わらずお腹は壊れっぱなし。風邪のせいなのか、ここ 1 週間ほど水のようなものしか体外に出ない。身体の真ん中に常に異物感がある。

 加えて、生活上では不運、というか物事がうまく運ばず、ドーンと気が滅入ることが続く。日記が消えたり、ゴールドマインからメールが来なかったり、ビデオが観れなかったり、伊藤若沖展に行けなかったり、パソコンが文字化けしまくったりしている。

 今日は送られてきた雑誌「ミーツ」に、これまでの人生で撮られた最悪の写真ベスト 5 にはいるくらいの変な顔をした私自身が、レコードを持って間抜けに立っている様が載っている。みんなも口々に「これはヤバイ」「こんな人がいるカフェには絶対に行きたくない」などと叫んで笑い転げたり、顔を凍らせたりしている。これは音の良いカフェお薦めの音楽、とかいう企画のページで、私はキタアキくん達のノーザンソウル啓蒙運動の一助になればという思いから、ノーザンのレコードを持って出たのだが、かえって逆効果となった。ノーザンソウルを聴いていると、こんなとろけた顔になるのかと思われること必定の写真だからだ。すまん、キタアキくん。

 ところで、たかが写真一枚とはいえ、わずかな間でも人々を楽しませたり恐がらせたりできるというのは、考えようによってはいいことだ。いろいろ不運が続いても、これで何人かは喜んでくれると思えば、不運・不幸もまたいいものだ。他人の不運・不幸ほど、面白く心楽しませるものはないからだ。

 しかし、それも話を聞いてくれる人がいてこそのこと。ここから、老人介護における「話を聞く」ことの重要性に思いを馳せ、老人だけにとどまらない全ての人にとっての「話を聞く」他人の重要性、ひいては共同体的なるものの重要性に思い至る。

 つまりはナショナリズムの再建。まずは自分の子供を私物化している親たち、自分の子供を着せ替え人形のように考えたり、自分に箔を付けるアイテム・マスコットのように考えたり、子供と自分が一番仲良し・結婚は絶対させない等と言ったり、他人に自分の子供が怒られると自らの所有権が侵されたかのごとく感じて怒ったりする親ども、こういった輩を国賊・奸賊として吊し上げること。子供は親の私有物ではない。子供は共同体の、「くに」のものである。天皇陛下の赤子である。天皇陛下万歳! などてすめろぎはひととなりたまいし。UFO にのって三島由紀夫が飛来する。左翼革命の望みが断たれたいま、我々の前に残されているのは右翼革命のみだ! あ、柄谷行人は共産主義革命を目指しているか。なんにせよ、お腹がいたいです。

小川顕太郎 Original:2000-Nov-5;