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 Diary 2000・3月18日(SAT.)

日本の公安警察

『日本の公安警察』青木理(講談社現代新書)を読了。先日ババさんにこの本を借りた時、それを見ていたオイシンが「『噂の真相』みたいなもんですか?」と言うので、いやこれは新書だよと答えたのだけれど、案の定オイシンは「新書」がなんなのか分からなかった。つまりオイシンは新書なんて読んだことがなかったという訳だが、まがりなりにも大学を出ていて、新書のひとつも読んだことがないなんて、一体どういう事か。

 新書は概論書・入門書的な色合いが強いので、まずなにかを勉強しようと思ったり、手っ取り早く何かの話を理解したいと思った時に、最も手にとりやすいものだ。今や様々なメディアがあるのは事実だし、インターネットで知識を得る人達が増えつつあるのも事実だろうが、まだまだ本に勝るものはないように思う。要するにオイシンは何かを自ら勉強しようと思った事がないのだろう。

 それはさておき、この本は、日本の公安警察の簡単な歴史と問題点を述べた、ほんとうに概論的なもの。故に目新しい事は何も書いていず、サッと読み流したのだが、一点、私がとんでもない勘違いをしていた事が分かった。恥を承知で告白すると、私は「公安調査庁」と「公安警察」が別ものだとは思っていなかったのだ。「公安調査庁」は、1952 年の破防法施行に伴って、同法の規定に基づく調査・処分事務を一体的に行うために、法務省の外局に設置された行政機関で、警察庁警備局に属する公安警察とは別物だったのだ。さらに、公安調査庁と公安警察は犬猿の仲だという。つまり、オウム事件の時に破防法適用を求めたのも、その請求が棄却されるとさらなる破防法改正を求め続けているのも、公安警察と張り合い自らの組織の存続・強化を願う公安調査庁だったのだ。とんでもない勘違いをしていたものだ。

 しかし、このような基本的な事柄が分かるのも新書のいいところである。新書はまた、時代の流れにマッチしたテーマを扱ったものが多い。この本も、昨年からの盗聴法や改正住基法などに代表される、日本の管理社会・監獄社会への傾斜に対する危機意識から作られたものだろう。オイシンを見ていても分かるが、基本的な事柄が分かっていないと、例え新聞を読もうがニュースを見ようが人の話を聞こうが何も分からず、的外れな事ばかり言い、問題意識さえ持てない。ベッチではないが、日々の精進が大切であると改めて思った。

小川顕太郎 Original:2000-Mar-20;