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 Diary 2000・6月22日(THU.)

リフ・ラフ

 ビデオでケン・ローチの『リフ・ラフ』を観る。ロンドンのホームレス達の日常が「リアル」に描かれていて、非常に面白かった。ケン・ローチはよく「社会派」とか言われるけれど、むしろ「社会主義者」と言ってしまった方がいいと思う。ジョージ・オーウェルのような、下層社会の人々の生活を愛し、個人主義を尊重する伝統的なイギリスの社会主義者。彼のようなイギリス型の社会主義者をみると、オスカー・ワイルドの「社会主義下の人間の魂」という美しい文章を思い起こさずにはいられない。ケン・ローチの作品は常に「人間の魂」を描いている。『リフ・ラフ』もソウルに溢れた素晴らしい作品である。

『リフ・ラフ』に出てくるホームレス達は、不法占拠した部屋に住み、日雇いの工事現場で働いている。彼等はみごとなまでに統制がとれていない。『ケス』に出てくる子ども達がそのまま大きくなったようなバラバラさなのだ。

 ところで私も高校生の頃、服やレコードに散財し、借金でどうしようもなくなって、学校をさぼって日雇いの工事現場に行った事が何回かある。そこでは高校になど行っていない同じ年頃の子ども達が大勢働いていたのだけれど、不思議なくらい統制はとれていた。他の人が何をしているかぐらいはなんとなく分かっていて、それに合わせて仕事をする、というぐらいの事は出来ていた。この映画に出てくる人々のように、みごとなまでに自分勝手でバラバラで、お互いの足を引っ張り合うという事はなかった。これはどういう事だろうか。日本人の方が優秀という事だろうか。

 そうとも言えるだろう。日本人の方が断然に仕事は効率良く出来るだろうからだ。しかし、近代のプログラムは人間を機械化する事だ、という観点からみれば、日本人の方がよりよく機械化してしまっているだけ、とも言えるだろう。日本人はソウルを喪失してしまっているとも言えるのだ。少なくとも、そう思わせるだけの力がこの映画にはある。我々は、この映画のソウルに触れて震える。ラストの炎上シーンを観て、「キープ・オン・バーニング!」と心の中で叫んだのは私だけだろうか。えっ、私だけですか。そうですか、すみません。ガク。

 それでもクラタニくんと共に、道路を転げまわりながら叫ぼう。「キープ・ザ・フェイス!!」

小川顕太郎 Original:2000-Jun-24;