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 Diary 2000・1月30日(SUN.)

カフェとは

 WEB サイト「カフェ・ド・ジャポン」について。私の立場としては、ああいうのは放っておけばよいと思うんだけれど、あんまりみんなから「どう思う?」とか訊かれるので、ここで少し私の意見を述べておきたいと思います。

 考えるに、この「カフェ・ド・ジャポン」の「店長」という人は「カフェ」とはどういうものかという事がよく分かっていない。という言い方がきつすぎるのなら、私と「カフェ」の定義がかなりずれていると思うのですね。この「店長」さんは、安くて、おいしくて、サービスが均一で、お客さんが一番偉いと思わせてくれるのがいいカフェだと思っているようですが、私に言わせたらそれはカフェではない。ファーストフードですね。合理性(安い・うまい・早い)と平等(均一なサービス)と大衆性(消費者資本主義)を重んじるアメリカ型のモダニズムの終着点であるファーストフード。だから「マックカフェ」とかを取り上げているんですね。でもあれはファーストフードでしょう。

 私の考えるカフェというのはもっと反動的なものです。ヨーロッパ的といってもよい。「カフェ」というのが、最も反アメリカ的な国であるフランスの言葉であることからも、そう考えるのが妥当でしょう。カフェにとって一番大事な事は、濃密なる時間と場の提供、ではないかと私は考えています。これは合理性や大衆性となじまない。

 最近はカフェブームですが、これはファーストフード的な薄っぺらさにうんざりした人々が増えてきた事の証ではないでしょうか。アメリカ型モダニズムは行き詰まっている。だからアメリカも、ちょっとカフェっぽさを加味したファーストフード店を出してきています。スターバックスとか。あれはファーストフードですよ、完全に。カフェではない。

 が、誤解してほしくないのは、私はファーストフードが悪いといっている訳ではない。ファーストフードとカフェは別物だと言っているのです。それぞれには、それぞれの良さがあり、時と場合によって使い分ければよい。私だってファーストフードを利用しますから。ただ、この「店長」さんみたいに両者の違いがよく分かっていず、多分カフェブームという言葉にのっかっているだけでしょうが、ファーストフード的な基準でカフェを評価されても、なんだかなあという感じです。

 さすがマックカフェはマニュアルが行き届いている、なんて感心しているところなどかなりトホホです。全ての客に同等のサービスをしろ、とか言われてもねえ。たまたまやってきてブーブー文句をたれている嫌な感じの人と、店を気に入ってくれて毎日のように通ってくれる人に同じサービスをしろって事でしょ? まあ、前者のような人を適当にあしらうぐらいがいいカフェだと言っておきましょう。

 うわっ、本日は時間オーバーしてしまった。うーん、明日は 1 時間以内に日記を書き上げるぞ。

小川顕太郎 Original:2000-Jan-1;