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 Diary 2000・1月24日(MON.)

禁煙ファシズム

 今日も暇。珍しくババさんも来ないし、カウンターでオイシンがポツンと本を読んでいるくらい。しゃあないので私も雑誌を読んで時間を潰す。

「新潮 45」に、前号に引き続き斉藤貴男の「『禁煙ファシズム』の狂気」と題した文章が載っている。斉藤貴男は、国民総背番号制というファシズムと闘い続けているジャーナリストなので、私も目につけば彼の文章を読むようにしている。忘れられているかもしれませんが、オパールは 2000 年も「国民総背番号制というファシズム」とは闘い続けていきます。皆さん御支援のほどを。んで、今回は「禁煙ファシズム」というわけ。アメリカ主導で行われている(グローバルスタンダード!)、喫煙は悪だから止めましょう、と言って法的規制などを行っていく動きのことです。

 私自身は煙草を吸わない。しかし、友人はほぼ全員スモーカーだし、カフェを経営している関係上、この問題には前から関心があった。はっきり言ってこの問題の中心は、煙草の煙が非喫煙者にどれだけ害があるか、という点にあると思うわけです。だって例えどれほど煙草が有害でも、非喫煙者に多大な被害を与えないかぎり、喫煙者がそれを吸っていくら体を壊そうが本人の勝手なわけで、その事に国が介入すればそれは即ファシズムだからだ。

 なんかそこらへんを分かっていない人が多そうで恐いのだけれども、国家が個人の健康を管理するのはファシズムでっせ。ナチスも正にそれをやった訳で、アメリカに並ぶ勢いで禁煙運動をすすめている北欧諸国も、だからこそ身障者の強制不妊手術とかやってたわけでしょう。我々には「不健康」に生きる権利があるし、みっともなく「のたれ死に」する権利がある。それこそ「生の尊厳」ってもんじゃあないのかい。管理された「健康」で「清潔」な人生なんて糞食らえ! だ。

 ありゃりゃ話がずれたけれども、その問題の核心である「煙草の煙が非喫煙者にどれだけ害があるか」という事。結論からいうと、やはりというか、因果関係はまだよく分からない、という事らしい。煙草を吸うと肺癌になる、という俗説を裏付けたとされる研究のほとんどは、どうやら疫学研究らしいのだ。つまり統計学ですな。統計学はうさんくさいからねえ。データからいくらでも自分に都合のよい結論を引き出せますから。

 いわゆる病理学的な因果関係はいまだ解明されていないらしい。とはいえ、禁煙運動をすすめている側の言い分は、証明されてからでは遅すぎる! というもの。これは無茶な理屈なのだけれども、それでも一理はあると思われる。だって非喫煙者にとって、煙草の煙は不快だもの。体を壊しそうな気になってもしゃあないとは思う。が、禁煙ファシズムは絶対許されない。ま、分煙あたりが妥当ではないでしょうか。ちなみにオパールは喫煙 OK です。分煙もやってはいませんが、マナーは守ってね。心遣いっちゅうかね。では久しぶりに言いますか。

「国民総背番号制というファシズム」反対!!

小川顕太郎 Original:2000-Jan-26;