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 Diary 2000・1月10日(MON.)

平成ゾンビ

 連休最後の日なので夜は暇だった。だから雑誌などをパラパラ読む。「ユリイカ」の今月号は大島渚特集。これ、まだ全部は読んでいないけれど、かなり面白いです。キネ旬ムックの「フィルムメーカーズ 9 ・大島渚」よりずっと面白い。が、私がここで書きたいのは大島渚の事ではなく、「ユリイカ」の巻頭に載っている越智道雄の連載「トポス/アンチトポス」について。今回は映画「バッファロー '66」について書かれているのだが、そこでヴィンセント・ギャロは共和党右派であり、クリントンの事を「くそ馬鹿野郎。途方もないアカのろくでなし、おまけに女房はレズときたもんだ」と貶すような人間であると書いてあり、なるほどと膝を打った。そういえば「バッファロー '66」ってある意味で凄く保守的かつ差別的な映画だ。なんとなくもやもやしていたものが、少しはっきりした。

 どういう事かというと、「バッファロー '66」は私も好きな映画なんだけれど、どうにも世間で流通しているイメージと自分の「バッファロー '66」理解のズレが気になっていた。これはゴダールの映画をお洒落映画と規定するイメージ戦略に対する違和感と同じものだろうと、なんとなく納得していたのだけれど、もうちょっと根深いものだと分かったのだ。つまりこの映画を歓迎する人々の保守的・差別的な感性が嫌だったのだ。私の「バッファロー '66」理解は、前にも書いたとおり、とにかくお笑い映画。

 ギャロが演じるビリーをはじめ、徹底してダサイ人々が情けない日常を演じている。もうアメリカなんてこんなもん、こんなにみっともないですよ〜と見せつけて、笑いをとる映画と理解していたし、実際に映画館でもひとりでゲラゲラ笑っていた。ところがこの映画を「愛しい」とか「心温まる」とかいう意見が結構出ていて、なんじゃそりゃ、と思っていたのだ。まあ、中原くんがそういうのは納得できるけどね。この映画は家族・地域社会への固執によって保守的だし、クリスティーナ・リッチのヒロイン像は、フェミニストの人なら女性蔑視といいかねないものだ。ビリーの不条理な行動に文句も言わず黙々と従い、最後は癒しの役を引き受けるという、もう男にとって都合良すぎの存在だもんね。で、私はその保守性・差別性のみっともなさを描ききったと評価していたんだけれど、どうやらラストシーンの御都合ハッピーエンドでそれら全てが肯定された、と受け取る人々が多かったようなのだ。そりゃ駄目だろう、というのが私のもやもやの一因でした。うむ。もしかして私って左翼? だから面白くないとかいいながら大島渚に拘っているとか。

 福田和也の「平成ゾンビ集」を読了。なかなか面白かった。福田和也は「ろくでなし稼業」とか「罰当たりパラダイス」とかこの「平成ゾンビ集」みたいなスタイルのものがやはり面白いね。軽妙かつ下品な調子で世間の事象を切っていくという。「日本人の目玉」とか評論のスタイルをとったものはどうも、ね。本人は自信作みたいだけれど。とりあえずこの「平成ゾンビ集」は、オパールのカウンターの上に置いておくので、興味のある方はご自由にお読み下さい。時間潰しにいいですよ。

小川顕太郎 Original:2000-Jan-12;