京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

HOME > diary > 00 > 1209
 Diary 2000・12月9日(SAT.)

ニーチェ

 昨日買った『だれでもわかるニーチェ』をザッと読む。キーワード解説や Q & A 、基礎講座や軽く短い文章が大半を占め、それにマンガ・小説・おちゃらけが加わって、とにかく初心者に向けて親しみやすく・分かりやすくあろうとする本である。

 つまり啓蒙的な書物なのだが、堤健もこの本の中で言っているように、最もニーチェから遠い本だとも言える。しかしまあ、こういった本を通してでもニーチェに興味を持ち、読む人が出てくるだろうから、ケチをつける気はない。たとえ消費されるにしても、忘れられるよりはマシだろうからだ。

 私はニーチェなんて誰でもなんとなくは知っているんじゃないかと思っていたが、オイシンに聞けば案の定というか知らなかったので、以上のように考えた訳だ。まあ、オイシンは『2001 年宇宙の旅』に使われている R. シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』を映画のオリジナルテーマ曲と思っていたぐらいだから。そんなんじゃあ、あの映画がさっぱり分からなくても無理はないだろう。実は単純すぎるほど、単純な映画なんだけれど。そういえばオイシンは『2001 年宇宙の旅』も、オパールに来た当初は知らないんだった。

 それはともかく、私もよくある若者の例にもれず、学生の時にニーチェにはまった。といっても『ツァラトゥストラはかく語りき』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『悲劇の誕生』『この人をみよ』『反キリスト者』『偶像の黄昏』などをザッと読んだ程度だから大したことはない。しかしそれでも自分はニーチェにはまったと言えるぐらいニーチェに入れ込んだのは何故だったのか。それはやはりニーチェを読んでいると全身の温度が上がり、思わず踊りだしたくなるような昂揚感が私を襲うからだ。それは DONI BURDICK の『BARI TRACK』を聴いた時とか、『ダーティー・ハリー』を観た時に私を襲う昂揚感と同じものだ。

 実際に私は、神戸の三宮駅で『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んでいて、思わず踊りだしながら、ごみ箱を蹴り倒した事がある。そういえば私は高校生の頃、『シンギング・イン・ザ・レイン』を歌いながらステッキで三宮センター街のゴミ箱をボコボコにした事があるし、シャム 69 の『イフ・ザ・キッズ・アー・ユナイテッド』を絶叫しながら、同様の事をした覚えもある。いったい私はなんなのだろうか。よっぽど小さい頃にごみ箱に関して嫌な思いでもしたのだろうか。

 最後に付け加えると、この『だれでもわかるニーチェ』に収められた東陽片岡のマンガは秀逸。特に『ルサンチマンとおでん』がいい。これと可能涼介の『わたしがニーチェだった頃』を立ち読みすれば、とりあえずそれでいいだろう。勝手なことを言いました。

小川顕太郎 Original:2000-Dec-10;