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 Diary 2000・8月3日(THU.)

お見舞い

 母方の祖父が倒れ、入院しているので、そのお見舞いに行く。祖父は数えで 90 歳になる。そして入院は 2 度目であり、前回は脳、今回は心臓だ。

 実をいうと祖父には不死身伝説があり、若い頃から数々の無茶をして、何度ももうダメだと言われながら、今まで生き残ってきたのだ。私が一番印象に残っている祖父の不死身伝説は、台風の時に海沿いの堤防を自転車で走っていて、そのまま波にさらわれて行方不明になり、みんなが諦めた頃にフラリと戻ってきた、というもの。祖父の不死身ぶりより、なんで台風の時にわざわざそんな所を走っていたのか、というのが気になるところだ。それはともかく、そういった祖父なので、今回も無事に退院は出来そうである。

 トモコとともに、兵庫医大の祖父の寝ている部屋を訪ね、大きなベッドの中に寝ている祖父を見た時、そのあまりの痩せぶりに吃驚してしまった。もともと痩せている人ではあったのだが、もう枯れ木のようである。身長は 170 センチはある祖父だが、体重は現在 40 キロしかないという。そんな身体で立てるのだろうか、と危ぶんだが、なんとか立て、一緒に 10 階のレストランに行く。一日に一度はそこに行くのが楽しみなんだそうだ。

 行ってみると確かに綺麗なレストランで、見晴らしが抜群に良く、ちょっとしたホテルのレストランみたいだ。祖父はそこでうどん定食を食べる。我々が行くのを知っていて、一緒にここに来てご飯を食べようと、病院の昼食は手をつけずに返してしまったそうだ。

 そういえば母が、祖父は病院の食事はまずいと言って手をつけようとしない、ワガママで困る、と言っていた。しかし私が思うに、病院の食事はほんとにまずいし、それは一概にワガママとは言えないのではないだろうか。祖父は入院していても、医者のいいつけを守らない事が多く、そんな事では治りませんよ、と言われれば、「治らんでもいい。死んでもいい。」と言うらしい。

 それで母や祖母などは「ほんとにワガママだ!」と怒っているのだが、私は祖父のこのセリフはワガママで駄々をこねているだけではなく、半分以上は本心だと思う。祖父はそういう人なのだ。いわゆる立志伝中の人で、学歴もない所から独力で会社を立ちあげ、今まで潰さずにやってきたのだ。若い頃の祖父の話を聞いていると、意志が強いというより強情で狷介なイメージを抱く。そういった人なので、人生の最後までそのスタイルを貫かせてあげたい、と考えてしまうのだ。

 とはいうものの、実際に毎日のように看病に通って祖父の面倒を見ているのは、母や祖母や叔母達なので、私がそのような事を口出しできるはずはない。そのような権利はないだろう。祖父の人生は祖父だけのものではない。「本人が死んでもいいと言っているんだから、好きなようにやらせてあげれば」という私のセリフは、それこそ身勝手なものだろう。それでも、そう言いたい気持ちが抑えがたくある。私は身勝手な人間なのだろう。

 病院帰りに、看病疲れで倒れた祖母も見舞い、その後は家族の者と夕飯を一緒に食べて帰途につく。帰りの阪急電車は、淀川の花火大会の帰りの客でいっぱい。ヤンキー風の男の子と茶髪に浴衣の女の子、という組み合わせが圧倒的に多い。花火、か。

小川顕太郎 Original:2000-Aug-5;