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 Diary 2000・4月13日(THU.)

高台寺

 トモコとベッチと私の 3 人で、高台寺の夜の特別拝観に行く。高台寺は北政所ねねが秀吉の没後に、その菩提を弔うために建てた寺である。

 四条から東山通りを下り、途中で左折して南へと道を辿る。両側に料亭らしき建物が建ち並ぶ、細くて曲がりくねった道を 3 人で歩いている時はいい感じだったのだけれど、高台寺に着くとさすがに大勢の人々でひしめいていて、少しがっかりする。我々の後ろにいるおばさん達の下品な笑い声に辟易しながらも、高台寺・圓徳院・掌美術館の通し券 900 円を買って、まず高台寺に足を踏み入れる。

 ライトアップがなされているとはいえ暗い中、細くて急な砂利道を大勢の人々とともに歩き回るのは、落ち着かずどうにもなじめない。だからサッサかと見てまわったのだが、その中でもひっそりと注目されずに建っていた茶室がどうにも気になった。

 外人観光客が群れていた、利休の意匠による茶室である「傘亭」よりもずっと気になったので、後で調べてみると、それは灰屋紹益と吉野太夫が好んだ茶室「遺芳庵」であった。灰屋紹益と言えば、世之介のモデルと目されている人物で、私の大好きな人物である。彼は吉野太夫が死んだ時、「都をば花なき里になしにけり 吉野は死出の山にうつして」と詠い、彼女の遺灰を酒にいれて毎日飲み、飲み干したという。素晴らしい。機会があれば、もう一度きちんと見に行こうと思う。

 高台寺は、庭に謎のネオン管をひきめぐらして光らしてみたり、人形や紙で作った鞠のようなものを置いたりと、よく分からない演出をしていた。首をひねりながら、次は圓徳院にまわる。

 圓徳院は人も少なく、落ち着いてみれたせいもあってか、なかなかの好印象。特に枯山水の庭は思わず座って見入ってしまった。

 すると係員らしきおじさんが突然に、しかし静かに解説を始めたのだが、これが分かりやすく非常に良かった。他にも人がどんどん集まってきて、みんなでおじさんの解説に耳を傾ける。それによるとここ圓徳院は、もともと伏見城から北政所の化粧御殿と前庭を移築したものらしく、化粧御殿の方は焼けてなくなり、現在の建物に変わっているが、前庭の枯山水はそのまま当時の姿をとどめ、今では伏見城を偲ぶ唯一のものだということだ。

 ねねは 77 歳で没するまで約 19 年間をここで過ごし、ここで死んでいったという。そんな話を聞いていると、私の頭の中には山田風太郎の「幻妖桐の葉おとし」が浮かんできた。この小説には強烈な印象を残すねねが出てくるのだ。読んだことがある人なら、その時に私の味わったなんともいえない気持ちが分かるかもしれない。

 掌美術館は狭いのであっというまに見終わり、祇園の方にご飯を食べに行く。山口大亭西店。値段もリーズナブルで、3 人で満腹するまで食べて飲んで 12000 円。私はイワキリさんに「焼酎のお湯割りのよさを分かって下さい」と言われていたので、焼酎のお湯割りを飲む。うん、ぐいぐい飲むにはいい感じかも。三条の珈琲館でコーヒーを飲んで、というかちょっと口だけつけて、帰る。

小川顕太郎 Original:2000-Apr-15;