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サラテク 7
解説

Salaryman technocut

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サ ラ リ ー マ ン テ ク ノ カ ッ ト 7

 営業本部長が新しい人に替わり、その就任の挨拶がコピーされて全国の各支店へ送られ朝会にて社員の前で読みあげられることとなり朝の体操はお休みして拝聴する事となったのだが、これが現在の不況という世情とそれに伴い上期の会社の成績が大幅に計画われをした事をうけてかなり勇ましいものとなった。そこでは現在の不況が戦況の厳しさとして語られ、営業本部が司令部に営業員が兵士に例えられ、現在の戦いに勝って生き残るためには売って売って売りまくらなければならないと、あからさまに戦争の比喩が多用されていたのである。日本の会社は軍隊と同じであるとか、国際化の名を借りた無自覚な経済侵略が批判されているであろうに何故このように戦争の比喩が跋扈しているのであろうか。前に「サラ・テク」で述べた朝の全体体操にしてもそうだし、実をいうと我々は日頃の営業活動の指針として「戦略体系モデル」というものを持ちそれに沿って営業活動を行っているのだが、我々は日々戦争をしているわけである。この「戦略体系モデル」というものもかなり謎なしろもので“商品戦略”“消費者戦略”“TR 戦略”……等ズラズラと大項目が並びその後に“得意先キーマンの攻略”などと書いてある小冊子を眺めていると思わず吹き出さずにおれないような滑稽感に襲われる。我々は日々パロディの世界に生きているともいえるだろう。

 このような事態はなにも私の勤めている会社に限った話ではないであろう証拠に、世の新聞や雑誌には“生き残りをかけた営業戦略”“国際競争力をつける”みたいな見出しが飛び交っているし、「プレジデント」のようなサラリーマン向け雑誌はたいてい戦国武将や軍人に生き方を学んでいる。敗戦後アメリカに具体的な戦争は任せてしまってひたすら経済戦争を続けてきたファシスト国家日本という特殊事情があるのかもしれないが、無学がばれるのを承知であえて話をひろげさせてもらうならば、これら戦争の比喩の多用の背景にあるのは社会ダーウィニズムではないだろうか。“適者生存”“弱肉強食”というダーウィニズムを人間社会にそのまま応用したといわれる社会ダーウィニズム。これが 19 世紀から 20 世紀にかけての帝国主義を支えた理論的支柱のひとつであったのは間違いのない事だし、結果として引き起こされた世界大戦を二つ経ることによってみんな反省して見事これを克服したというのもありそうにない話だ。むしろ“社会ダーウィニズム”なんて言葉を誰も口にしない程あたり前の物語として今の世界を規定してしまっているのではないだろうか、と大風呂敷をひろげたところで実のところ外国がどうなっているのかなんて全然わからないので「少なくとも日本では」と少し風呂敷をたたませてもらう。

 だいたい販売計画は常に前年を上回って作成しなければならないとは、少し考えれば馬鹿気ているとわかりそうなものではないか。永遠に増え続ける数字という成長神話は私にとって無限に対する畏怖というより恐怖しか感じさせない。しかしながら前年実績を下まわることによって企業内に引き起こされる一種のパニック状態――このままでは滅んでしまう、生き残るためには売って売って売りまくらなければ――は非常に鬱陶しいものがあり、そんなわけないやろと内心つぶやく私ももしかしたら世間の厳しさとはそんなもんかもしれんという思いが頭をよぎる事もあり、結局“社会ダーウィニズム”という物語にとらわれている自分に舌打ちする始末だ。

 なんとかこの“社会ダーウィニズム”という物語を克服することはできないものかと頭をひねってみるに、まず出てきた名前が今西錦司なのはちょっと恥ずかしい。まあ一般的にある時期まではダーウィニズムに拮抗しうる日本独自の理論としてもてはやされた今西理論だが、どうやら晩年は各所からの反論にたえきれなかったらしく、いや“らしく”などと書くのはそこらへんの事情を全くわかってないからで、こんな科学的に不正確な知識に基づいて論を述べる事はショートカッターにあるまじき事だろうから慎むべきなのだろうが慎みなく意見を述べさせてもらうと、今西理論には期待できない。理由としては“種社会”という今西理論のキータームが全体論哲学との通底を思わせるからで例えいくら皆で仲良く“すみわけ”たとしても全体の調和のために個が抑圧されるようなことがあればもともこもなく、私は首肯できないからだ。(今西理論と全体論哲学との通底、それに対する批判などに詳しい方がいれば御教示下さい)

 では私のとっている“MOD 大作戦”はどうか。これは一見“社会ダーウィニズム”という大きな物語に“MODS”という小さな物語をぶつけているだけにみえるかもしれないが私としては“MOD である私”という小説を生きているつもりなのだ。けだし物語を越え得るのは小説であるから。とは云うものの実際どのように生きているかと振り返ってみれば、普段はできるだけ死んだつもりでサラリーマンライフを送り、いざという時にモッズ的価値観を持ち出して自分を守っているだけのような気がしていかにも弱い。確かに会社にモッズっぽいスーツを着ていったりベスパを買ったりと馬鹿々々しい事を完全に醒めながらやるという、この意志こそ物語を小説化しうると信じて生きているわけだがこれだけではどうにも弱い。この弱さを克服するためにテクノを導入したのではなかったのか。MOD 大作戦も含めた今までの人生をポップと規定し、これをテクノで組み換えていく事をこの連載第一回で宣言したにもかかわらず、その作業は遅々として進まず、日々の苦しみはつのるばかり。日暮れて道遠し、などと感傷にふけっているうちに、ああ事態は容赦なく進む。

 冒頭の新営業本部長が営業員達の意見を聴き交流を深めるために全国の支店をまわるという情報が入ってきたのだ。入社以来私は会議というのもので起きていたためしがなく故に社内事情や会社に関する基本的な事項で驚く様なことを知らない場合が多々あり先日も社内のテクニカルタームについて今年入社した新人に教えてもらうということがあったばかりなので、そんな事ではやばいぞと課長に忠告されたのだが今さらどうせえと云うのか。また私は会社なんかどうなってもよいと根本のところで思っているし危機感もないので、この業績巻き返しのために抜擢された営業本部長とはその意識のありようにおいて幾百万年光年もの隔たりがあるであろう。いやまいった、当日は私は多分ロボットのような無機質な心で席に臨むであろうがこれってテクノじゃなくてテクノポップなのよねえ。

(初出:ショートカット 55 号 1995 年 12 月 1 日発行)


解 説

 我々が現在流通している考え方から逃れたいと思った時に、その考え方の欠点をつくだけでは駄目なのである。我々は新しい考え方を提示しなければならない。その事を示そう。

 例えば前回に引き続き今回も話題になっている「社会ダーウィニズム」。これは「世の中には常に生存競争があり、強い者が勝って生き残り、弱い者が負けて滅び去る、そしてその事によって社会は進歩していく」といった考え方だが、前回のサラテク 6 ・解説で理論的準備を済ませた我々は、この考え方の間違いを簡単に示す事ができる。

 強い/弱いというのは闘う土俵のいかんによって変わるものであり、世界が一元的な土俵上にない以上、強い/弱いを決める事は論理的に不可能である。故に「強い者が勝って生き残る」というのは間違いであり、「生き残った者が結果として強いとみなされる」のである。これで「社会ダーウィニズム」の間違いは示せた事になる。しかし、だからどうなるというのか。

 一元的な土俵がないとはいえ、とりあえず今生きている場所での土俵はあり、それは前回も書いたように自分で好き勝手に変えることはできない。となれば、とりあえずその土俵の上で闘わなければならないのである。例えばあなたが金を得たい、立派な地位につきたい、あるいはそこまで欲張らなくても貧乏ではないそこそこの生活をしたいと考えたとする。それにはよく勉強し、いい職につく事が必要だろう。しかしもしかしたら将来革命が起こって、金持ちや立派な地位にあるものはいじめ殺されるかもしれない(そういう事は文革をはじめ実際にあったことだ)、と考え何もしなければ、やはり愚かなことだろう。我々はとりあえずの土俵上で闘わなくてはならないのだ。

 もう一度問題を考え直してみよう。我々は好きかってに土俵を変えることは出来ない、と言ったが、全く不可能というわけでもないのではないか。例えば、私が生存競争の場を会社から喫茶店経営に移したように、小さな領域では可能だろう。が、これでは「生存競争=社会ダーウィニズム」という大きな土俵は依然変わっていない。私は無論この大きな土俵を変えようとしていたのだ。先ほども述べたように、それにはこの大きな土俵の間違いをあげつらうだけでは駄目なのである。「この大きな土俵」に代わる、大きな土俵を提示できないかぎり、我々はそこに向かうことさえ出来ず、不完全で間違いだらけだと感じる「この大きな土俵」の上で闘い続けなければならないのだ。会社に代わる他の土俵ならいくらでも思いつける。喫茶店経営しかり、肉体労働しかり、犯罪人生しかり…。しかし、「生存競争=社会ダーウィニズム」に代わりうる大きな土俵など、提示できるであろうか? 

 マルクスはそれを「共産主義」として提示した。そしてそれは「生存競争=社会ダーウィニズム」に代わりうるほどのものとみなされた。だからこそ、みんなそれに飛びついたのだ。しかし現在、「共産主義」もやはり駄目だったとみなされている。とはいえ、それに代わる土俵=物語など誰も提出できていないのだ。

 私がサラテクで試みていたのは、マルクスをも超えようという無謀なものだったのだ。土俵が解体しつくされた土俵なき土俵=テクノとして、当時はまだイメージの固まっていなかったテクノを足掛りに、新たな生き方を模索していたのだ。まったくお笑い草である。しかし人間は追い詰められた時、信じられないくらい大胆になったり、真の難問に取り組んでしまったりするものである。その結果どうなったのか。

 土俵を会社から喫茶店経営に移しいくぶん精神の安定を得た私は、問題を矮小化することによって姑息に生き延びたといえるかもしれない。あるいは、私のようなものにそんな大問題など解けるわけがないので、問題と心中せず逃げ出したのは最良の賢い選択だったともいえるだろう。どちらが的を得ているかなどは私には分からない。ただし私がまた新たな闘いを始めていること、それだけは確実である。

小川顕太郎


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